2015年03月29日

剥がれ落ちてしまう記憶、涙するということ

剥がれ落ちてしまうことを悲しいと捉えるか
剥がれ落ちてしまうことを嬉しいと捉えるか

きっとそういう ちがい が世の中にはたくさんあって

僕は忘れてしまうことを無意識に選択して
記憶することってのをやめてしまっている
それは景色がここにないっていうのと
それは景色が絵の中にあるっていうこと

昨夜は 大停電 のライブを聞きにいって
限りなく近い未来のことを奏でているなって感じた

まだ見たことのない景色は既に見た景色で
君の頭の中に描かれた世界は まだ見ぬ美しい景色

君から剥がれ落ちた記憶の世界

そういわれている気がした

常に僕らは余白に埋まる何かを探して
世界をさまよっているように見えるけれど
実は答えは内側にあって 既にあって
剥がれ落ちてしまった記憶にあって

ふと 懐かしい そう思える 絵や音楽に触れて
涙が溢れ出している 涙に溢れている

涙を流していることを悲しいと捉えるか
涙を流していることを嬉しいと捉えるか

きっと そんなことが くりかえされている

大停電

たくさんの感情に溢れている
それは本当に 美しい

田中くんには奇妙な友情を感じる
似ている んだろうなって 僕は思う
posted by Nonsugar at 11:07| Comment(0) | 散歩
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